伝統

 

出雲風流花踊り(いずもふりゅうはなおどり)

出雲風流花踊り(いずもふりゅうはなおどり)
 
出雲風流花踊りは、出雲大神宮において、毎年4月18日の花祭り(鎮花祭/はなしずめのまつり)に奉納される風流踊りです。
本来は、雨乞いその願済ましの芸能で、花踊りの他、笹踊りとも浴衣おどりとも呼ばれており、発祥は室町時代にさかのぼります。
明治16年の大干ばつを最後に途絶えていましたが、大正13年に地元氏子の手により復活し、鎮花祭の恒例行事となっています。
色とりどりの衣装、四季の花づくしを趣向とする花笠とともに締め太鼓を手に踊る姿は、いかにも風流らしく華麗で、祭当日の境内はカメラの放列ができています。
地元保存会では、小学生や高校生に花踊りを指導したり、他の神社や文化団体等の出張講演にも協力しています。
なお、この踊りは、京都府の無形民俗文化財に登録されています。(連絡先: 出雲風流花踊り保存会 会長 廣瀬 源義
 
 
 境内で奉納する「入葉」
 
 花踊りを練習する川東小学校児童
 

毘沙門地区の竹細工

毘沙門地区の竹細工
 
毘沙門地区の竹細工は、歴史的には古く、江戸時代中期に、保津村の一浪人の教えを受けて、竹籠を編み始めたことに始まるといわれています。
農業のみでは生活は苦しく、はじめは、家で使用する籠類の余分を販売して生計を助けていましたが、やがて竹細工が生業となり、明治27年1月、毘沙門竹器製造販売組合が設立されました。日用の竹籠はもとより、盛籠、花籠、手提籠等を生産し、竹製品の東洋的な味わいのよさから、国内は勿論、海外にも輸出されるようなりました。
最盛期には、組合員65名、工作員男52名、女34名の計86名が従事して、昭和の初めごろまで隆盛をきわめ、全国的にもその名が知れ渡っていました。しかし、戦争の勃発で、工作員が減るとともに、輸出が不可能となったために、事業の続行が困難となりました。終戦後、細々と再開されましたが、金属製品やプラスチック製品が出廻るようになり、竹製品の販売は減少の一途をたどり、竹器組合も自然消滅となりました。
その後4~5名が、花籠を中心に編み続け、貴重品として取引きされていましたが、高齢化によりそれらも姿を消していきました。ここで編み出された独自の技法も継承されず姿を消してしまっているのは大変残念ですが、花籠や手提げカバン等の竹細工の美しさにひかれ、南丹市にある伝統工芸大学校で技術の習得に励む若者が現れてきていることが救いです。
 
 
 高級品の花籠類
 
 日用品の籠類
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